生前整理アドバイザーのストーリー

【父のおかげで、思いを伝えることがとても大切だと実感できました】

生前整理アドバイザー:後藤 恵子

義母が家に荷物を残したまま夫の妹の家に引越し、全く手を付けないままの空き家状態が何年も続きましたが、嫁である私は、何もすることができませんでした。
しかしこの経験をきっかけに、「私は子どもたちにとって必要のない物は残さないようにしよう」「まずは自分の生前整理をしよう」と決意。

私自身が大切だと思っていた物も、私が死んだら、家族は何が大切なのか分かりません。生前整理を学び、自分や物としっかり向き合うことで、物を減らすことができました。そして、必要な情報はひとまとめにし、保管場所を伝えることができるようになりました。

最近は、旅行に出かけるとき、「エンディングノートや、万が一のときに必要なものがまとまったファイルは、ここに置いてあるからね」と娘に言うと、「お母さん、死にに行くの?旅行に行くの?」と笑いながらも確認してくれています。

生前整理の指導員になって1年目は、両親は「すぐに死ぬような仕事をして…」と言って、理解してくれませんでした。

しかし、登山が趣味で百名山に登っていた父に、「遺影写真を撮りに行こう!」と誘うようにしたところ、次第に会話が弾むように。

やがて父は、「これを遺影写真にしてほしい」と言って額に入った立派な写真を持って来て、「お葬式の曲はNHKの山の番組の主題歌にしてくれ」と言い、「友人知人はみんな亡くなってるから、家族葬でいいからな」と、近くの葬儀会館2つを指定しました。

元気だった父は、それから1年もしないうちに突然、大動脈解離で他界。
しかし、生前整理や葬儀などについて話をしていたおかげで、父の希望していた葬式をおこなうことができたと思います。

戦後の貧しい時代を経験している父は、なかなか物を手放せませんでしたが、自分史、自作の尊厳死宣言書、遺産分割協議書、家族へのメッセージなどをしっかりと残し、日常会話の中で、銀行の暗証番号も伝えてくれていました。

 

病院で医師から延命処置をするかしないかの判断を迫られたとき、大動脈解離が起こっていなかったら、延命処置を希望していたかもしれませんが、葬儀後に「尊厳死」とA4用紙にタイプ打ちされた書類が見つかりました。延命処置についても紙で残すのでは間に合わないので伝えておくことが必要だと実感しました。

ただ1つ心残りなのは、「ありがとう!」の言葉を返せなかったこと。生きているうちに私たちへの思いを聞けていたらと思うと、残念でなりません。

一方で、父と生前整理の話はしていたものの、「これから詳細を決めていこう」という矢先で、元気な父で長生きするだろうとゆっくりと進めていたため、まだまだ足りないところがたくさんあったことに気が付きました。

希望の葬儀場を2つ聞いていましたが、父が亡くなったのが午前1時頃だったせいか、1つは電話がつながらず、もう1つは霊安室がありません。あらかじめ希望の葬儀社に行き、しっかりと打ち合わせをした上で、見積もりまで作っておくことが必要だったと思いました。

また、葬儀社との葬儀の打ち合わせは約2時間もかかり、大切な家族を亡くしたばかりだというのに、遺された家族は大変だということが分かりました。

しかし、父のおかげで、エンディングノートを書くことや、保管場所を伝えることも含め、生前整理について家族間で話し合うこと、思いを伝えることがとても大切だと実感できたのです。それからというもの、私の講座では「伝えること」を一番のポイントとしています。

私は、生前整理を学んで、もの・心・情報の整理、親との生前整理ができるようになり、さらに人生を前向きに私らしく生きることができるようになりました。

これからも父との経験も含めて、たくさんの方に「生き活」である生前整理についてお伝えしていきます。

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